目の前の電光掲示板に合わせて「10…9…8…」。
つい、カウントダウンの声が大きくなる。
「3…2…」まだ20歳のカツミの胸も、後少しで止まってしまんじゃないかというほど、大きな鼓動を刻んだ。
「ゼロ!」
カウントゼロと同時に船内はベルトを外す慌ただしい物音の後、一斉に静寂に包まれた。
各々、割り当てられた小さな窓に額を押しつけるようにして目の前の光景に見入っている。


やがて小さなすすり泣きも聞こえてきた。
カツミの視界も、気付けば涙でぼやけそうになっている。


真っ黒な背景の中に浮かぶ青く輝く地球。


今まで、画像では何度も見たことがある、その同じ光景なのに、何故こんなに胸を突かれるのだろうか。
生憎の今は裏側に回っているあの地表に、この旅に送り出してくれた家族や友人達が住んでいるのだ。
そう思うだけで熱い涙が頬を伝って何度も何度も堪えようもなくこぼれていく。
なんてちっぽけで、頼りなげな、美しい星だろう。
「この星を守る戦士になる!」
意味もなく、訳もなく、そんな決意を誓った。


正直、来たくて来た旅では無かった。


カツミの両親もご多分に漏れず、カツミの誕生と同時に「20歳の宇宙貯金」を始めた。
1ヶ月1万円の貯金はかなりの負担だっただろうけれど、宇宙預金なんて一種の流行りだったから、当のカツミにしてみれば「別に要らないのに。勝手に押しつけて」てなもんだ。
実際3歳年下の弟は、彼名義の残高をカツミに回してくれた時「俺、別に行きたいとか思わないし」と言った。


カツミの思い入れだって弟と大差ない。
3年年下の弟が生まれてからは、二人合わせて月々1万円貯金だったから、20歳を迎えるカツミ名義の宇宙預金では、費用にはまだ100万円ほど足りなかったのだ。
が、大学の同年代の仲間達が次々と旅立っては体験を語り合っているのが、微妙に悔しく、羨ましく…別に行きたい訳ではないけど、行けないのも悔しい程度に思っていた。
一番の悪友が遂に行って来て「うーん、誰にでもってんじゃないけど、やっぱ良かったから…(行って来たらイイよ)」と裏切った暁には、むしろ絶対行きたくない位にも思ったんだけれど。


どうせなら夏休みの米国1ヶ月訓練コースが楽だったろうに、ぐずぐず迷っているうちに、そっちはとっくに予約が埋まっていて、翌年夏休みの中国コースの予約を入れた上で、結局春休みのロシアコースにキャンセル待ちで来ることになった。


1ヶ月の訓練コースは、普通に健康なカツミにとって「不可能」レベルではないけれど、「ちょっと何コレ」程度には厳しかった。
英語ならまだしも、想定外のロシア語漬けの世界に、なるとは思わなかったホームシックというか「日本語で思い切り話したいよストレス」も味わった。
同じ訓練コースに、世界中から同年代の仲間が集まってなかったら…彼らが同じく小さな悩みとか、なんでこんなとこ来ちゃったんだろ的違和感とかを持っていなかったら、もっと苦しかっただろう。
つたない英語とロシア語を駆使しながら、一緒に1ヵ月を乗り越えてきた彼らは、たぶん、もしかしたら一生物の宝物かも知れない。
彼らの家族が住む場所は、丁度今見えている側、カツミとは反対側だったりするけど。


この1ヶ月、思い起こせばよく頑張った。
そう思うと、更に涙は止まらなくなったけど、どうせ仲間達も窓に貼り付いてダラダラ泣いてるんだろうから気にしないことにする。


やがて規定の10分が過ぎ、アラームが鳴った。
名残惜しい思いはとにかくとして、訓練通り、迅速に元の席に戻る。
船はこのまま地球に戻る。
たった10分のための240万円と1ヶ月の異国での訓練生活。


でも。来られて良かった。来させてくれてありがとう。


この先のバイト代と、就職してからの給料は、まず弟のための宇宙預金に入れようと思う。
きっと奴は「そんなん要らない」って言うだろうけど、わかんなきゃ、わかんないでいい。
とりあえずこの宇宙体験コースに送り込んでやろうと思う。
そして次は両親だ。
もし弟が何年後かに同じ思いを共有してくれたら、二人協力して両親の分の旅費を溜められるだろう。
そう言えば母が「宇宙預金もアチコチあるけれど、M銀行のは金利分は途上国の子供達が宇宙体験コースに参加するためのファンドになるのがイイね」と語っていた。
だから地球の裏側の子供達にも。


いつか地球に住む殆どの人が、この同じ光景を見る。
いつかこの同じ体験をする。
その時は今と違う地表世界が来ている気がする。
それがどんな世界なのかは、具体的にはわからないけれど。


END


……今日、縁あってARAS-1というワークショップに参加した。


その中で、私がどうしようもなく、実はやりたいと強く願っていたことが
「宇宙に出ていって地球を見る」
だったことに気付かされた。


どうしようもなく。
それを思うと泣きたいほどに。


いや、だって他にもやりたいことあるだろ。
会社を元気にして、日本を元気にして。
自死とか、貧困とか、私の胸が痛む課題は山積みだし。
宇宙とか行って(言って)何になる訳?


って、理性は言うんだけど。
自分で驚くほどに、どうしようもなく。


ああ、そうか。と思い返してみれば。
パソの待ち受け画面は、いつも地球か月の画像にしていた。
臨席の同僚が「地球とか月とかの画像って気持ち悪いから止めて」(←これもなかなかにユニークな意見だ)と言ったので変えるまで。
海外青年協力隊になって海外支援したいと思った高校生の頃には、同じく「いつか宇宙に行こう」と思っていたよね。
夢叶って協力隊員として赴任した先のカンボジアで、現地の英語学校のクラスで「将来の夢」を語り合った時にも「死ぬまでには絶対宇宙に出ていって地球を見る」って言ったよね。


ただ、そこには「近いウチに、特別な人ではなく、普通の人が旅行先として選べるようになると信じているから」というただし書きがついていた。
私の信念と裏腹に、その速度がとっても遅いのが問題。


日本人宇宙飛行士が誕生してニュースになる度に。
チラ見しては目をそらしていた。
あれは私が自分で持っているとは思っていなかった「嫉妬」という感情だったのだな。実は。


先週末の連休、長野にスキーしにいったら、温泉の中で凄い流星を見た。
見た瞬間に…ちょっと自分でもどうかと思うけど…なぜか…宇宙と、地球と、そこに住む全ての生物の、調和と幸福をイメージした。
流星が長い尾を引いて消えた後、遠い昔に友人が「流れ星に願いをかけると叶うと言うけれど、それはきっと『流れ星を見た一瞬にさえ願えるほど、常に強く願っている願いがあるならば、それは叶うだろう』という意味だと思う」と語っていて、なるほどなと思ったことを思い出した。
ならば私の心からの願いって「宇宙と地球と生物の調和と幸福」なのか?(そんな事を願っていた覚えはない)と…微妙に愕然としたのだった。


こんなビジョン、こんな使命は拾いたくなかった。


でも、なんとなく身体でわかる。
これが私の本当にやりたいこと(その1)なのだろうと。
その1をクリアしなかったら、その2をやっていても嘘になるだろうこと。


あまりに思いが強いので、自分がどんな風に宇宙に行きたいのかを小説風に書いてみた。
てか、カツミって誰だよ(笑)。小説とか書いたことないし。
ホントにどうかしてる。