古武術の研究者、甲野善紀さん( http://www.shouseikan.com/ )の講演を丸ビルの「夕学五十講」で聞いてきた。


「そうだ!」と思うことを沢山聞けて見られて(実演があるから)大満足。
そうだと思うことと、その通りできることは別物なので、この表現でも許されるだろう。(笑)


一番印象的なのは『しないこと』に言及されていたこと。


まさしくカルロス・カスタネダの「イクストランへの旅」でドン・ファンが語っていたことと同じである。
曰く「『しないこと』は、おまえにはおくびにも出せんくらいむずかしくて、強力なことだ」
「世界を止めちまうまではな。それができてはじめて、そのことを堂々としゃべれるのさ、もしそうしたけりゃな。」
(中略)
「この小石の場合は」「最初に『すること』がそいつにするのは、こいつをこの大きさに縮めることだ。だから、戦士が世界を止めたいときは、『しないこと』によってこの小石を大きくするとかなんとかするのが一番いいわけさ」


私も『しないこと』に近づいていきたい。


甲野さんは「手の仕事をやめさせる」とも言っていた。脳がお気楽社長なら、手はごますり社員なのだと。
手で掴むのではなく、足裏からくるぶしからすねから何もかもがちょびっとずつ、全身で掴むのだと。


そういえば、一昨年急にスキーが上達した時のコツは、武道を思いだして「上虚下実」を心がけたことだった。
実はバイクの運転も「上虚下実」がコツだったりする。
毎晩歩くときにもこれを心がけている。


パソコンを長時間打つことの疲れや女性に多い腰痛を防止する身体の動きについて参加者からの質問に対して、甲野さんは足を乗せるバランスボードという商品の話をされていた。
一本下駄の話もされていた。腰痛にも効きますよと。


MBTで毎日楽しくバランスウォーキングをしているうちに、ダイエットもさることながら、代謝があがってきたし、短時間睡眠でも体調を崩さずにいられるようになった私としては、これら一連の話が実に納得。
なんば歩きもやってみせて下さったのだが、足を蹴り上げずに、すこし重心を落とした感じで、身体の中心から歩く…この歩き方はMBT歩きと似ている。
「昔はどこの道も舗装されていなくてでこぼこだったはず。そこを歩いていた頃は、今より長距離歩けたんじゃないかな?バランスを取りながら歩くことで、全身のあちこちに異なった刺激が起きて、疲れを癒しながら歩くことができるんですよ」と甲野さん。
うんうん、すごくわかる。
今は時間の都合で西荻窪三鷹の50分程度しか歩いていないが、三鷹に到着する頃に、このままどこまでも歩いて行きたくなってしまうことは多い。今度は荻窪から歩くことにしようかな…


甲野さんが「全世界のゴルフファンを敵に回したとしても言いたいのですが、ゴルフは根本的に間違ってます。プロのスポーツとは言えませんね」と話していたのが痛快。
「まず、打つ先ではなく地面の止まったボールを見てる時点でおかしい。身体の動きすべてが合理的でなくておかしい」とのこと。
「私がクラブを振るならこうなります」とやってみせてくれた動きは、コミカルに見えはしたが、実に自然で無理の無い動きだった。あの動きでクラブを振る選手がでてきたら、ゴルフ界には革命が起きるだろうな。英国紳士が認めないだろうけれど。
「たぶん、ゴルフは命がけになったことがないからですね」の発言で甲野さんも会場も笑ったが「命がけになると、人間自然と潜在能力が発揮されて、一番よい身体の使い方ができるようになって動きが洗練されるのです」という発言には納得。


「若いときにはできなかった技が今できるようになりました」「2年半前に急に竹刀の握り方が変わったんです」
「この夏に真剣の使い方が変化して、竹刀より早く扱えるようになったんです」
「人生で今が一番身体がよく動きますね」
と、すごく嬉しそうに語る甲野さんは61歳という年齢を超越している。
「頭で考えて、できないとか、おかしいとか、理解できないとか言ってることが多すぎる。もっと潜在能力ではいろんなことができる」という甲野さんの切実な訴えは、シータ・ヒーリングの主張とも一致する。


今、歩いている方向が間違っていないと思えて、とても嬉しい時間であった。
合気道の稽古も、もっともっと「しない」感じで、楽しもうと思えた。
明日は稽古日。


「夕学五十講」を紹介してくれたBe Nature School同期のS氏よ、甲野善紀氏の活動を紹介してくれたFAJのY女史よ、ありがとう。
甲野氏の著作も一通り読もうっと。