カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟」読了。
モスクワ旅行へ行くにあたってM子から「巨匠とマルガリー夕」「カラマーゾフの兄弟」は読めと言われて8月に入手。
結局、訪ロ前には上巻の途中までしか読めず、後はゆっくり楽しんだ。


間違いなくドストエフスキーの大傑作だし、村上春樹も絶賛してるし、最近(といっても少し前)は「カラマーゾフ」ブームだし。
なんだけど、とりあえず一読して「何がそんなにウケているのかなー」が素直な感想。
自分的に、あまりグッとこなかった訳だ。


頭で凄いなーと思うのは
100年も前に書かれたというのに、まったく古くなくて普遍的だという点、
とんでもなく冗長な長台詞が多い割に、それも飽きさせずに一気に読めてしまう(だけの文章の上手さがある)ことの2点。


古くないと言うとロシアの人から怒られるかも…だってもしこの舞台が日本の村だったら、今どき馬車なんて…的な、ミクロなポイントで古臭く感じてしまっただろうから…
日本ではないからこそ、ロシアというか、どこかスラブ的文化のファンタジー世界のお話の様な気持ちで読んでいるので、時代のことは気にならない。
むしろ、人間の考えること、言うこと、やることって普遍的なんだなぁと。
社会が前より悪くなるとか、家族のつながりが希薄になっただとか、心の正しさを失って便利さや物に埋もれることで、人は幸福どころか不幸になっていくだとか、100年前も同じコトを嘆いている。
「昔は良かった。今はどんどん悪くなる」ってのはいつの時代にも真剣に言われてる。ってことは人間の社会は成立以来悪化しっぱなしってコトか!?
そんな訳はないので、とすると実は悪くなっているように感じるだけで実は全然変化してないってコトか!?
どちらも極論なので正しくないのだろうが、じゃホントのところはどーなのよ。と、思ったりした。


続編があるなら、是非読みたかった。たぶん、続編の方が私は好きだ。


ま、何度も読まないと良さがわからないとも言われているので、またいずれ読み直してみよう。感想が変わるかも。


朝飯:納豆巻き、ヨーグルト、野菜ジュース/昼飯:玉子屋/夕飯:納豆、サラダ、おさしみ湯葉