長野 横手山(志賀高原)


スキー1日目。
長野へスキーに行って来た!


ただの長野スキーの何が「!」かというと、スキーをするのが…えっと、中学生の時以来で…電卓、電卓…28年ぶりで、人生にしても3回目か4回目という、こう言っては何だが「六十の手習い」とか「年寄りの冷や水」みたいなことわざが頭に浮かんでしまうシチュエーションだからだ。


経緯はまぁ要約すると…大阪方面のとても会いたい人たちが長野にスキーに行くというので、会いに行った。他にすることもない山の上なので、私もついでにスキーなるものをやらせて貰った…ということだ。


長らくスキーなるものには手を出していなかった。
友人達曰く「冬にわざわざ寒いところまで行って遊ぼうというのがわからない」とか、以前に私はほざいていたそうだ。私は覚えてないけどな。


確かにスキーとかテニスとか、かつて一世を風靡したスポーツについては、若かった当時、ミーハーすぎて軽薄っぽいのがイヤとか思って手を出さなかった覚えがある。
スキー場まで行くのが大変とか、車の渋滞だとか、リフトで並ぶこととか、装備が重たいこととかもイヤ要因だ。
しかし、夏にわざわざ海外の暑いところまで行ってスキューバダイビングをしている私が何を言うのやらという感じである。
装備の重さだって良い勝負じゃないか。


たぶんスキーには、他にイヤ要因があったのだ。
乏しい記憶を掘り返してみた。


覚えているスキーは2回だけだ。
1回目は小学生だったと思う…低学年か、せめて4年生くらいだろう…母に連れられて行ったのだ。
父は居なかったと思う…今思い返してみると不思議だ。どういうシチュエーションだろう…??今度訊ねておこう。


母は若い頃、職場の男性(父ではない)などと一緒によくスキーにでかけていたらしい。
割と派手好みだし、当時は外資系である3Mに勤めて、ブイブイいわせていたらしいので、スキーにもきっと楽しい思い出が多いのだろう。
それを子供と共有したかったのか、なぜなのか、ある時母は私をスキーに連れて行ったのだ。


だが、今の私と違って、当時の私は「どちらかと言えば運痴」だったのだと思う。
以前、バイクの免許を取る話題で書いた覚えがあるが、大人になってずいぶん経つまでの間、私はあんまり上手に自分の身体を制御することができなかった。
小学生のころは逆上がりだってできなかったし、25m泳ぐこともできなかった。
身体能力っていうのは、たぶん脳の働きも重要なのだ。動きのコツみたいなのがつかめないと思い通りに身体を操ることはできない。
当時は、身体と脳の働きがつながっていなかった気がする。


だから、スキーも悲惨だったに違いない。
楽しかったという記憶も、滑っていた自分の記憶も全然無い。
ただ覚えているのは…熊ノ湯スキー場といって、近くに温泉などが沸いているそうだ。きっとスキー場もちょっとコースを飛び出すと温泉池になっていて、そこにボッチャンと落ちてしまうに違いない。しかも温泉には熊が入っているに違いない…と、スゴクスゴク怖かったという記憶だけだ。


2回目のスキーは中学生の時。
まだ知り合って間もなかった中学の同級生が、彼女の家の近所のグループ(自治会か何かか?)で保護者も交えて大勢で行くというスキーに誘ってくれて、私は単身で混ぜて貰ったのだ。


これもスキーを滑っていた記憶が全然無い。
ただ、餅つきのイベントとかもあってつきたての餅を食べさせて貰って美味しかったこととか、珍しく喫茶店に入らせて貰ったら、インベーダーゲームの台があって、私にとっては初めて見るそのゲームが新鮮だったこととか、スキー以外のことしか覚えていない。


そして極めつけ。
経緯は覚えていないが、その混ぜて貰った同年代中学生女子から
「ちょっと美人だからって鼻にかけて、男子にちやほやされてイヤな感じ!!(要旨)」
的な事を言われた。
しかも、男子にはまったく興味がなかった上、ちやほやされている自覚も無かったのに、そんな事を言われて大層驚いた私は
「ちやほやなんてされてないよ(要旨)」または「ちやほやされたって嬉しくないよ(要旨)」
的な回答をしてしまい、更に
「美人ってトコロ否定しないって事は、自分でもそう思ってるんだ(要旨)」
的なツッコミを受けて、自分のあまりのKYさにとても恥ずかしい思いをするという…なんともアレな記憶があるのだ。
あああ…なんて不器用なんだ当時の自分!


スキーには「どうも周囲が見えていない。自分の身体もちゃんと制御できない、脳の発達が今ひとつ間違っているとしか思えない不器用な私」の記憶がセットになっているが故に長い間敬遠してきたのだった。


しかし、30歳を越え、40歳も過ぎるとだんだん多少のことはどーでも良くなってしまうんだよね。
失敗も恥も怖くなくなるしな。
人生残り少ないので、できることは何でもしておかなければ。


そんな訳で、今回「ほぼ初」スキーに挑戦することになったのであった。つづく