瀬戸内海


写真は(初めて渡った)瀬戸大橋から見た瀬戸内海。海の中に島が沢山浮かんでいて見慣れない風景。
ゲドの世界EarthseaのArchipelago(多島海)はこんな風景だろうかと思ったりした。


父方の99歳になる祖母が8/25から入院しているのだが、病院がウチからバイクで近いので度々見舞いに行くようにしている。
心臓が悪くなって入院したが、今は寝たきりに近い状態になってしまい退院の目処はたっていない。
何ができるわけでもない不肖の孫でも、退屈しのぎになろうかかと、土日は両日会いに行き、行けば1〜2時間はダラダラと祖母の相手をして過ごしている。


殆どの親戚を亡くしている割には、こんな風に縁者の入院で病院に度々見舞いに行くのは初めてで、自分でも珍しいことをしているなと思う。
別に他の親戚達や母方の祖母と比べても、親しくしていた訳ではない祖母である。
ベッドの脇に書いてある氏名を見て初めて祖母の名前を知った位だ。
それまで知らなかった事に驚いたが、孫にとって祖母は「おばぁちゃん」であって名前なんて必要ないものだ。
子供のように小さくなってしまった祖母の身体をさすりながら、どうして今回に限り自分はこんなことをしているのだろうかと考える。


もちろん家が近くて行きやすいとか、丁度遊びの予定が途切れたので週末空いているとかの偶然が重なったからだけど。
一番大きいのは、自分が「気楽な見舞客」だからだろうなぁと思う。
寝たきりになってしまった祖母の面倒をみてくれているのは看護婦さん達。
娘の立場で医師からの説明を受けたりするのは叔母の役目。
金銭的な負担も、叔母やもしかしたら父が負っている。
今、徐々に回復している祖母が、もし無事退院できたとしても、引き取って介護するのは叔母と両親の役目。
だから気楽に「早く良くなって退院できるといいね」なんて言えるのだ。


祖母は半分呆けているのだが、同室の他のご老人達に比べたら、天使のようにおとなしい。
少し足をさすってやれば「あぁいい気持ちだね。もういいよ」
ベッドの傾きを直してやれば「これが丁度いい。ありがとね」
他の患者さん達が「水をくれ。どうしてくれないのだ」「もう今日は退院する。帰る」「何度も呼んでいるのに看護婦が来ない。酷い病院だ」と騒いでいる中で「これから帰ってご飯かい?遅くなるといけないから、もう帰った方がいいよ」とか「どうしてこんなに呆けちまったんだろ。迷惑ばっかりかけていやだね」と言う祖母は本当に手がかからない。
おとなし〜く、そ〜っとベッドに横になったままの、弱々しい小さな身体。
楽な相手だし、相手しているだけで自分が健康で強くて大きいことを実感できる。
そんな自分の気持ちが透けているようで辛い。


15〜20年後、両親に介護が必要になったとしたら、自分は何をどこまでするだろうかと疑問に思う。
一人っ子だから当然覚悟しておかねばならない事だが。
心身の強さ、金銭面で私の上を行く両親なので、イマイチ実感がわかないけどな。
そういえば墓も先日購入申込したようだ。抽選に当たるといいけど。


行かないよりは、行った方がマシかと見舞いを続けている。
毎回「また来るよ」と言うと「3日位したら来るのかな?」「待っているからね」と言われるから。
面会時間がもう少し遅くまであると、平日も行けるのだが。
来週末は出勤なので、どこで見舞い時間を作るか悩ましい。


朝飯:クラコット、スープ/昼飯:天ちらし蕎麦/夕飯:サラダ