晴|新聞〜書く技術

日経新聞が好きで毎日愛読している。
といっても(株価市況欄を除く)全ページをほぼ17分(三鷹〜中野間)で読むことにしているので、読むというよりは斜め読み…どころか「斜め眺め」であるが。


日経新聞が好きなのは、割と中立を心がけた論調になっているからだ。
毎日新聞大手町駅の広告看板に「主張を押しつける新聞はいらない」というのがあるのだが、まさしくその通り。欲しいのは情報であって、誰かの意見ではないのだ。
明らかに対比になってしまうが、朝日新聞を嫌っている。
主張が割と「体制批判しとけば良い」的に底が浅く見えるのが、嫌っている一番大きな理由だ。
が、それだけでなく前に2回ほど「それって新聞としてどーよ?」と思わされたことがあって決定的になった。


もう片方は忘れたが、2回のうちの片方は不祥事により高校野球を辞退することになった話題だった。
私はたまたまそのニュースを全然知らないで過ごして居たらしく、その記事は発生から数日経っている様子だった。
興味を持って朝日新聞のその記事を読み始めた私。
しかし、記事の最後まで読み終わって激しく消化不良。モヤモヤが残ってしまった。
なぜなら、どんな不祥事のせいで辞退することになったのかが、まったく書かれていなかったからだ。


慌てて同じ日付の日経新聞を開いたところ、題字の脇にある概略部分に(うろ覚えだが、確か)「指導中の暴力行為が発覚して高校野球出場を辞退することになった○○県××高校では、辞退の是非を巡って波紋が広がっている」(…とかなんとか)書いてあって本文を読むまでもなく、イキナリたった3行で知りたかったことが判明した。


対する朝日新聞
紙面の1/4ほども使った記事なのに。
父兄だか関係者だかのコメントは2名か3名分(それだって「辞退することになって悔しい」的な当たり前コメントだ)も載っているのに。
これで情報を発信しているとか言われたら困ってしまう…と、もう一度見直して、改めて深く呆れてしまったのだった。


そんなコトが、後にまたもう一度あって決定打。
以来、経済・政治・社会の話題は朝日新聞では読まないことにしている。
(映画・芸能程度の話題や読み物は楽しく読んでいる。連載漫画も)


情報の書き方の基本もおさえていないような記事を、堂々と載せてしまうようなのを新聞とは呼びたくない。


書く技術。
プレジデント2005年10.17号でも取り上げられていたが、本当にビジネスでは必須で大切な技術だ。
しかし、自分のことを棚に上げて言わせて頂くなら、なかなか良い文面に出会わない。


「書く」ことは、文章を書くこととイコールじゃない。
文章を書き始めるのは「書く」ことの工程の後半である。
書く材料を集めたり溜めたりしている時、自分の言いたいポイントをアチコチ転がしてみている時、(材料をバラバラに書き出したりしながら)何を書きたいのか頭の中を整理している時、どういう構成にするか組み立てている時、既に「書く」ことは始まっている。


特に仕事上での「書く」作業は、どちらかというと命題を与えて証明していくような数学的な作業だと思うのだが、どうも散歩か何かのように惰性でなんとかしようとする人が多いように思われる。


かつて父と初めて「仕事の話」をしようとしたときに、彼が開口一番「最近の若い者は、本当に書くのが苦手で、いつも何が言いたいのかわからないようなロクでもない物を読まされている」と嘆いていたのを思い出す。
多くの人が「苦手だ」「上手にまとめられない」と思っているからこそ、雑誌の特集も売れるというのに、こうもいつまで経っても改善しないのは何故か。


それはやっぱり、一足飛びで解決するような問題じゃないのに、練習する手間を惜しむ人が多いからなのではなかろうか。
最近の国語教育は知らないが、小中学校でも是非ディベートなどと共に、「作文」だけじゃなくて「ビジネス文書」の書き方(レポートの書き方と同じだ)も繰り返し訓練してやって欲しいものだ。


朝飯:小松菜のお浸し、ヨーグルト/昼飯:日替わり弁当/夕飯:天ちらし蕎麦


2006/01/23(Mon) 21:16:32