晴|上海風邪

まったくもって酷い風邪をひいている。


たぶん上海で拾ってきた風邪菌で、それだけでも日本菌よりたくましそう(イメージ)なのに、その上かかっている医者がヤブなので(断定)、余計に始末に負えない。


発病は11/9(水)の早朝。たしか2:00か、4:00の偶数の時間だった。
眠りが深い質の私が、なんだか寝苦しい夢を見て、ふっと目を覚ましてみたら、全身関節痛で熱が出ていたのだ。
関節痛と熱で目が覚めるなんて最低だ。計ってみたら37.8℃くらいあった。


栄養剤と葛根湯を流し込んで寝直し、翌朝、午前半休を取って医者へ行った。
風邪ごときで医者にかかるのはあんまり趣味じゃないのだが、昔と違って会社での責任もあることだし「病になったなりに、ちゃんと手を打ってるんですよ」という姿勢も見せねばならないので医者へ行く。
そう改めて考えると馬鹿みたいだが、そんな理由で医者へ行った。


ジョギングコースの途中に、春に胃カメラでお世話になった内科があって、そこが結構気に入っているのだが、生憎水曜日は休診なのだ。
仕方ないので、インターネットで最寄りの内科を新たに検索して行ってみた。


そこがヤブだったのだ。


何をもって、私がその医者をヤブ認定するかというと。
まず、なんだか山盛り薬をくれるのである。
そして、その山盛りの薬が全然効かないのである!
そんなにあるんだから、どれか一つくらい効いたっていいだろう?


順を追って話す。
11/9(水)の早朝に受診した時は、熱と関節痛の症状だった。
この時点で貰ったのは
・PL顆粒(総合感冒薬)
ロキソニン錠(解熱・痛み止め)
・ケルナックカプセル(胃薬)
・バナン錠(抗生物質)
を5日分。
その症状を抑えるという意味では最初にくれた薬は効いた。その後、特に熱も痛みもなく5日間を過ごすことができたのだ。
しかし、風邪を治すという元来の目的は全然果たしてくれてなかったらしい。
むしろ、中途半端に症状を押さえ込んでいたために、長期化してしまった気がする。


この5日分の薬が切れた11/13(日)の夜、急に咳が止まらなくなった。
眠ろうとして布団に入ったら咳き込みはじめ、なかなか寝付けないほど。
月曜日の朝には、外せないミーティングがあるので仕事に行ったが、咳は酷くなる一方なので、早退して(そのころはまだヤブとは思っていなかった)医者へ行った。


11/14(月)の夕方。症状はひたすら咳。痰が絡むのではなく空咳である。
そして貰った薬が
・テオロング錠(咳止め)
アスゲン錠(咳止め)
ムコダイン錠(痰を出しやすくする)
・シングレア錠(抗アレルギー剤・喘息)
ホクナリンテープ(咳止め)
である。5種類咳止め。しかも7日分。
それでも、まだヤブとは思わない。患者としてはありがたく5種類の咳止めを飲んだ。
これで少しでも咳が出なくなるならなんだってイイと。


その夜。次の朝。薬を飲んでも、飲む前となんにも変化がない。
これほど変化が無いなら、いっそ何も飲まない方が良いんじゃないかという程に効果がない。


それでも患者としては何ができるわけではない。
仕事に行ける状態ではなかったので会社を休み、温かくしてひたすら眠る。
時間がきたら何か食べて薬を飲む。


そうして火曜日を過ごして、水曜日の朝。
しかしまったく変化なし。
咳のしすぎで上腹が筋肉痛。
どうせなら下腹も使ってくれればダイエットになるのにと思ったり。
日曜日の夜に最初に症状が出た時と、咳の頻度も苦しさもまったく同じ。
こんなのってアリなのか!?


11/16(水)もう一日仕事を休むことにして、朝、再度医者へ行った。
間をあけない再診を不審に思うだろうと、まず
「一昨日頂いた薬が全然効かないので、他の薬に変えられないかと思って来ました」
と言うと、医者はそれがまるで個人的侮辱だったかのような不機嫌な声で
「そうは言っても、この腫れが引くまでは咳は止まらないよ」
と言い放った。
しかも、それをなんかの拍子にもう一回言った。
じゃ、アンタのくれた咳止め薬の立場はどーなるの?そしてアンタの立場は?


腫れが引いたら治る…そんぐらいは素人にだって言える。
だから例えば、消炎の方に重点を置いた薬に変えるとか、なんか方向性を変えることでこの現状を改善する手段があるかも知れないジャンよ。
医者にはそーゆー角度の検討を専門家の立場でして欲しいワケよ私は。


そして、その医者は追加で以下の薬を出した。
・PL顆粒(総合感冒薬)
メジコン(咳止め)
ジスロマック錠(抗生物質)
フルタイド100ロタディスク(吸入剤・炎症アレルギー抑える)
・メプチンクリックヘラー(吸入剤・咳が酷いときに使う)


再度強調したい。「追加で」出した。
前に出された薬のうち「アスゲンだけ飲むの停止」だそうだ。


そして、それら8種類の薬を使って3日。
未だ咳の回数はほとんど減っていない。
仕事も、木曜日は昼過ぎまで頑張ったが、辛くなって午後休んだ。
今日も15:00位にはあんまり使い物にならない存在になっていた。(とりあえず最後まで会社にはいた)
「いつまで風邪ひいてるの?」と無神経で頭悪い声をオヤジ社員にかけられる。こっちが訊きたい位だ。好きでいつまでも風邪ひいてる奴がいるもんか馬鹿。


明日の朝起きてみて、まだ症状が改善していないようなら、いつものお気に入りの医者へ行きなおす。
たかが風邪で、いや風邪でなくても、こんなにも症状に改善の見られない日々は初めてだ。デング熱だって5日もあれば治る(熱がひく)んだぞ?


「薬をくれた。出した」と書いているが、診察料も薬剤料もタダではない。
それで無駄な薬を飲まされて胃壁だけ荒れていくなら損害賠償を請求したいくらいだ。
水曜日に行った時、月曜日の診察結果じゃなくて、先週の診察結果を話し出したあたりにもヤブ臭がプンプンする。
電子カルテらしく紙じゃなくてPCに症状を入力してるんだけど、使いこなせないなら紙にしておいた方がいいんじゃないのか?
それともドイツ語書けないとか字が汚すぎて読めないから紙カルテ使えないのか?


と、ひとしきり悪態をついてスッキリ。


そういえば、カンボジアに行く前のかかりつけの医者もヤブだった(笑)。
やっぱり、やけにすぐに沢山薬を出してくれるの。


そっちはなんというか、おじぃちゃん先生が趣味でやっているような医院で、アパートの2軒隣で、いつ行っても他に客が居なくてのんびりできたので、ヤブなこともひっくるめて愛用していたのだった。
目医者だか、整形外科だかと隣接してて(息子か娘がそっちをやっていて繁盛していた)、ロフトから落ちて酷い打撲傷になった時もお世話になった覚えがある。


同じヤブ医者にも、愛すべきヤブ医者と、憎むべきヤブ医者がいるものだなぁ。
やけに綺麗な店構えで、若くて可愛い看護婦と事務のお姉さんが計3名も働いているところが、余計に憎たらしい<今のヤブ医者。




話は変わって。


私は割と突然リアルにピンポイントで何かの食べ物が食べたくなる。
ダイエット宣言しておきながら、夕方に「今日はどうしても広島風お好み焼きが食べたい!」とか「地鶏とプリプリ卵の親子丼が!」とか「夕食は旨い塩ラーメンでなきゃヤダ!」とか叫び、ついでに周囲の人にその気分を伝染させて迷惑をかけたりしている。


味の記憶は、匂いの記憶と似て、普段、思い出そうとして思い出せる物でもないのに、ふとした弾みでアリアリと思い浮かんでくるのだ。


今日の帰りの電車の中でも、そんな風に何かの味が思い浮かんだ。
一瞬。とても強く。
しかし、その時私は村上春樹の「ノルウェイの森(下)」を結構真剣に読んでいたので、その味が浮かんだ時、何の味なのかを掴み損なってしまったのだった。


一瞬遅れて猛烈に「それを夕食に食べたい!」と思い、繰り返し繰り返し、その過ぎ去ってしまった復活記憶のおぼろげな輪郭をなぞっているうちに、それが「カンボジアプノンペン大学学食で昼に食べていた炒飯(バイチャー)の味」だったことがわかった。
カンボジアで食べていたものをこんな風に(意図せず、食欲とともに)思い出したのは、これが初めてになる。
よりによって、その初めての食べ物が「学食の炒飯」になるたぁ思わなかったなぁ。
あれだけ美味しい物が沢山あるカンボジア食生活の中で、一番不味い部類に属しているのになぁ。


炒飯と言うなら、旨い炒飯が食える中華料理屋がたくさんあった。
学食の炒飯は、どちらかというと「炒飯モドキ」であり、傷んだ油と、味の素と、なんだかよく正体がわからない野菜と、べちゃべちゃした米の組み合わせだったのだ。
米が焦げた部分なんかは、それを炒めた錆さびのフライパンの味じゃないかって思う。


夕飯にそれを食べることができないのは、ちょっと哀しかった。
あんな不味いモドキ味は、日本で食べようと思っても逆に難しい。
味が思い浮かんでから、それが何の味なのか思い出すまで時間がかかったのにも、今の私とカンボジアの距離が反映されているような気がした。
それでも。
こんな風にあの味が思い浮かんできたことが、とても嬉しい。
次に浮かんでくるカンボジア味は何になるのだろうか。(これで終わりじゃないよな?)


朝飯:サラダ、ゆで卵、ヨーグルト/昼飯:日替わり弁当/夕飯:ワタリガニのトマトクリームスパゲティ、サラダ


2005/11/18(Fri) 21:35:07